雨漏り診断士 野呂 洋介(のろ ようすけ)

自己紹介

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プロフィール

氏名:野呂 洋介(のろ ようすけ)
生年月日:昭和61年1月12日
血液型:O型
趣味:釣り

生い立ち

私は1986年1月12日に松阪の助産院で2630グラムと小さめで産まれました。助産師さんに色黒の鼻の高い男前ですと言われたそうです。

 

2歳頃、ドライバーを気に入り、ネジが付いている物を見つけるとよく分解していました。その際、ドライバーを持ち歩いてこけた事があり目の上をパックリ切ってしまった事があったそうで、

 

今でもその傷が残っています。

 

幼稚園に入ってからは、負けず嫌いの性格で何でも一生懸命に取り組み、芋ほりでは人一倍袋に詰め込み持ち帰ってきたそうです。

 

その反面、甘えん坊な所があり、幼稚園の先生が大好きで『帰りたくない』とよく泣いていたみたいで先生のお家にお泊りをした事もあったそうです。

 

小学時代

小学校三年生までは松阪市のアパートに住んでいましたが、よく家の鍵を忘れてトイレの窓から家に入っていたのを覚えています。

 

勉強はさっぱりで、小学校から帰るなり宿題も一切せず家の近くに住んでいた幼馴染の友達と毎日のように遊んでいました。

 

ある時はサッカーをして人のお家の壁にボールを蹴りこんで遊んでいましたが、今考えるとそこのお家は大家さんで、よく怒られなかったなと思います。きっと大目に見てもらえていたのだと思います。

 

ある時は近くにあった駄菓子屋さんで爆竹を購入して、公園で鳴らしたりとご近所方に迷惑をかけていました。後にそれがお母さんの耳に入り怒られることに… 

 

その駄菓子屋さんですが、最近近くを通ったら今でもお店をやっていたので、また行きたいと思います。もう爆竹は売っていないと思いますが。

 

小学生の頃から勉強は苦手でしたが、体育は好きで毎年あったマラソンでは常に上位でした。

中学高校時代

中学校では部活動が始まり陸上部(長距離)にはいりました。中学1、2年生の時は走るたびに練習や試合で記録が伸び、走ることが楽しくて日々練習に取り組んでいました。

 

中学3年生ではキャプテンとなり、さらなる飛躍を求めて頑張っていましたが、怪我ばかりで記録も思うように伸びない時期がありました。

 

それでも走る事を諦めず、最後の試合では3000mという種目で自己新記録がでて、自分自身納得のいく良い結果を残せました。そのおかげで陸上(長距離)の強豪校である上野工業へスポーツ推薦で入ることができました。

 

高校に入ってからも上を目指して頑張っていましたが、どんどん練習量が多く耐えれなくなり1年で走る事を諦めてしまいました。

 

今ではあの時、もっと頑張っていればと後悔が残っています。

 

就職

高校卒業後は特にやりたいこともなく悩んでいたところ、東京で親戚の叔父さんが経営している通信会社に就職させていただく事になりました。

 

働くという事に不安はありましたが、楽しいと感じる事も多く、仕事内容も自分に合っていると思い頑張っていました。

 

数年働いた後に、三重県に戻る事になり、知人の紹介で屋根や外壁の職人をすることになりました。この時の親方が今の小河社長でした!

 

仕事に対しては厳しい人で辛い事もありましたが、もちろん楽しい事もあり2年程、お世話になりました。

 

その後は又通信の仕事に戻り、どの仕事も楽しく一生懸命励んでいたのですが、どこかしっくりこず、なにかものたりなさを約10年近く感じていました。

 

周囲と強調しながら、大きな目標に取り組みたいと思っていても、みんなで対等に意見し合える環境ではなかったので、ミーティングがあってもいつも決まった上司の意見が通る状態でした。

 

自分の性格上、言われた仕事をただこなすだけではなく、自分自身で考え動ける職場を求めていたからだと思います。

結婚

25歳の時に長女を授かり結婚する事になりました。長女が誕生すると、自分が家族を養っていかなくてはならないという意識が強くなり、がむしゃらに仕事を頑張るようになりました。

 

その代わり、育児は妻にまかせっきりで、辛い思いも沢山させてしまっていたと思います。

 

2年後には次女が誕生し、不得意ながらも、お風呂にいれたりオムツを変えることに挑戦するようになりました。

 

その2年後には3女が誕生し、一気ににぎやかになりました。

 

転機

以前一緒に仕事をしていた小河社長から連絡があり、また一緒に仕事をしないか?というお誘いを受けました。数年に一度、連絡をとるくらいだったので正直驚きました。

 

またこの頃は県外で住んでいた事もあり、娘も小学校へ行っていたので、簡単に決断する事は出来ませんでした。

 

お誘いを受けてから、しばらく経った時に出張で四日市に行く機会があったのでその夜に四日市駅近くで会いました。

 

見た目は変わっていましたが、小河社長の仕事に対しての熱意や、何事も真剣に取り組んでいる姿を尊敬しており、ここの会社であれば、自分の求めている仕事ができるのではないかと思いました。

 

ただ当時勤めていた会社でも任せて頂いてもらっていた業務もあり、半年間考える事にしました。

 

転職の話を会社に報告し了承も得てもらえ、妻や子ども達にも三重県に戻ることを理解してくれたので、情熱リノベーションに入社する事に決めました。

 

現在

あれから情熱リノベーションに勤めて4年目が経ちますが、日々沢山の学びがあります。

 

毎日、雨漏りに向き合っていますが奥が深いです。雨漏りの原因究明はもちろんの事、どのような工事がお客様にとって1番最適なのか、お客様のお役に立ちたいという思いを第一優先に、日々奮闘しております。

 

雨漏りが止まった時のお客様の嬉しそうな顔をみれることが、僕のモチベーションをあげてくれています。自分が必要とされていると感じるのは本当に嬉しいです。

 

また、結婚して10年が経ちます。いつも僕の事を支えてくれている妻に、将来、夢のお店を開いてあげたいと考えています。

これから先

 

以前屋根工事させていただいたお客様のお話ですが、お客様は『いつ屋根が崩れるか心配』『雨の日は雨漏りで夜も安心して寝られず身内のお家に泊まっていた』というお悩みがありました。

 

調査で伺ったとき、お客様は暗い表情で『予算もないし、養生だけでいいからと』おっしゃっていました。

 

僕は、お客様のお悩みを解決したい!お客様に安心して暮らしていただきたい!お客様を笑顔にしたい!

 

という思いでお見積りを作成し、そして説明をし納得していただき工事をさせていただく事になりました。

 

工事が進んでいくにつれてお客様の表情が変わっていくのが見てわかりました!工事が完了してからは、お客様の表情が明るく笑顔になっていてお客様アンケートにも『これからは外出できるようになる』『久しぶりに雨の日でも安心してぐっすり寝れます』

 

とお声をいただきました。朝の朝礼でお客様アンケートを読んで感動しました。

 

雨漏り診断士として、『雨の日は雨漏りで夜も眠れない』『本当に雨漏りは止まるのだろうか』と不安やお困りになられている方の力となり、お客様には雨漏りのない不安のない生活をしていただく為に笑顔と安心を提供していきたいです。

 

まだまだ至らない点もたくさんあると思いますが、これから先情熱リノベーションは長く安心を提供できる会社として100年企業を目指しています!多くの方に安心をお届けしたいです。いつでも私、野呂までお気軽に相談して頂きたいと思います。