代表プロフィール

自己紹介動画

【ごあいさつ】 雨漏り修理専門 情熱リノベーション会社紹介です。

※音量に注意してご視聴くださいm(_ _)m

プロフィール

※母校である三重県立白山高等学校へ課外授業の講師として毎年お話に行かせてもらっています。 真ん中が私です(笑)

 

氏名:小河 光司(おがわ こうじ)
生年月日:昭和58年7月2日
血液型:B型(RH-)
家族構成:妻 長男 次男 長女

 

生い立ち

わたしは1983年7月2日に三重県津市(旧久居市)の病院で生まれました。

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生まれてきてから今までずっと津市民です。

 

兄弟は6つ上の姉と二人兄弟です。

 

小学校に上がるまでの記憶で今も残っているのが、母親の目を離したすきに勝手にリンゴを切ろうとして左手の中指を包丁で切ってしまったという話です。

 

旧久居駅の裏口にあった病院に着いてから、お医者さんに「指がくっつかないかもしれない」と告げられた母が失神したという話です(‘;’)

 

今は完治してます。笑

 

 

少年時代

2とにかく毎日遊んでました。

 

花火やかんしゃく玉が大好きで車の下に隠して置いたりと…

 

よく近所では悪戯して。叱られていた記憶しかありません(+o+)  

 

小学生の時は学校が嫌いで3年生と6年生の時はほとんど行っていませんでした。3年生の最初の学校に行かなくなりだした頃は無理やり学校へ連れてかれましたが、そのたびに歩いて帰ってくるので親は困っていました。

 

そのせいで両親がケンカしているのを覚えています。不登校だったので毎日友達が学校の宿題とか持ってきてくれたり、先生も家に来てくれたりと親や友達、先生に心配をかけていました。

 

ただ学校には行っていなかったのですが、毎日友達と近所の公園や山で秘密基地など作って遊んでいて、学校であった出来事の報告を受けていました。今思えば学校いけよって感じです。ちなみに修学旅行や行事ごとはちゃっかり行っていました。

 

自分自身は当時、好き勝手やっていいかもしれませんが、それでも親の苦労は相当だったと思います。私の従兄妹はみんな学校へ行っているし、さらに成績優秀だったので正月の時など集まる時は親戚のおじさんやおばさんに学校の事とか聞かれるのが嫌でした。

 

「学校は行っている」とバレている嘘をついていました。めちゃ恥ずかしいです。

 

現在、自分の子ども(長男次男長女)は元気に小中学校も行っているの安心ですが、もしある日突然子どもが学校へ行きたくない。と言われたら心配になると思います。

 

学生時代

勉強するという感覚がなかったので、中学に入るとさらに勉強も難しくなり余計に意欲が出ませんでした(+o+) 

 

そんな事で中3ぐらいから父親に寮の学校に行けとずっと言われていたのですが、地元の高校(白山高校)を受験することに決めました。

 

何とか高校も受かりましたが、中学同様に高校生活も遊び中心の生活のまま卒業し、これといって自分のしたい事や目標も見つからないまま社会に出る事となりました。

 

気付けば卒業した母校である白山高校で「働く」をテーマに毎年お話しさせてもらっている私ですが、最初に講演の話を聞いた時は「学校行ってなかったんやけどな」と思いましたが、学校ではなく【働く】がテーマだったのでこれならイケると思い、今もお話をさせて頂いています。

 

社会に出てから学ぶことが半端なく多いです。一生勉強とはまさにその通りだなと思います。

 

職人の道へ

高校を卒業して18歳の時に地元の瓦店に就職した事をきっかけに職人の世界へ。

 

昔遊んでばかりいた友達もそれぞれ自覚を持つようになり、仕事という新しい世界で自分を成長していきます。昔は仕事が好きじゃなく友達が仕事の話をしていても興味がありませんでした。

 

社会に出たらいきなり遊ぶ回数も減り、私はみんなについていけないような気持ちだったので、仕事にも身が入っていませんでした。当然そんなテンションでは仕事に支障がでるので親方に毎日怒鳴られていました。

 

20才の頃、成人式がきっかけで真剣に努力しようという気持ちになりました。同級生がいきなり大人になっていた感覚をうけたのです。スーツを着ているしカッコいい社会人みたいな印象です。まあ成人式なので当然と言えば当然ですが、学校へ行っていなかった頃に宿題を届けてくれていた友達も大人になっていました。

 

急にその場に居るのさえ恥ずかしくなり、今まで遊んでてばかりいた自分を変えていくことにしました。今思えばそのまま小中高の感覚が残っている自分の考えであったりしたら、学校の時と同じ状況になっていたかもしれません。

 

心境の変化

自分を変えていこうと決心してから、毎日寝る前は明日の段取りや、工事の進め方を自分なりに考えていました。そして次の日に行動に移し実践すると、最初の頃は「勝手な事をするな!」と親方によく叱られていました。

 

2~3人一組で様々な現場へ行くのですが、工事内容によっては役割分担が各々変わってきます。当然親方がどの仕事も早く丁寧です。親方の口ぐせはたくさんあるのですが、よく言われた1つが「光司!俺の仕事を作れ!」です(笑)

 

当時は意味が分かりませんでしたが、自分の目の前の仕事をこなした上で自分の仕事だけではなく、みんなの動きや周りを見ろ。チームで仕事をしている以上、チーム力を最大限に活かせ。という風に親方が教えてくれてました。多分この解釈で間違ってないはずです(笑)

 

親方の言っている意味を理解してからは、みんなが効率よく動けるように、誰かの手があかないように考えて働くのが好きになりました。

 

仕事内容やその日の状況によっては親方と別々で別れる日もあり、そんな時は現場に行くのが楽しみでした。俄然やる気が出ているので親方から与えられたノルマより倍をこなすというノルマを自分の中で作っていました。

 

大抵無理でしたが(;´∀`) 量をこなすので質は上がったと思います。

 

ほめられたいというよりか、親方に認めてほしいと思っていたんだと思います。

 

この仕事が自分は一番好きだ!!

今思えば仕事や会社や親方を自分から好きになった様に思います。

 

仕事に対しては姿勢が変わり、会社のルールも守るようになり、親方の言う事も素直に聞くようになりました。これらの事は学校といった集団生活の中で学ぶべきだったようにも思います、、、(苦笑)

 

成人式のきっかけがなかったら、どうなっていたかは分かりません。生活のために仕事をしているとは思うのですが、働く事の大切さ楽しさを知ることが出来なかったかもしれません。

 

もちろん生活のために働くのは根底にありますが、生活のためだけなら、この仕事でなくても問題ありません。

 

当時は学校に行っていなかった事や遊んでばかりいた事に負い目を感じている部分があり、人の倍以上は働いていこうと決めていたので必死でした。

 

独立願望

3ちょうどその頃は結婚もした時なので、色々考えるようになり、考えれば考えるほど将来が不安になりました。

 

働いていた会社も親方も良くしてくれていて不満はなかったのですが、自分も親方みたいに家を建てて独立して家族を養っていきたい。と思いはじめるようになりました。独立したいと相談すると最初はまだ早い。の一辺倒でしたが、半年経った頃くらいの給料日の日に「独立するのは良いけれど大変だぞ」と言われました。

 

急に辞めるのは流石に会社にも迷惑がかかるため、親方との決め事で年末までは会社に居て翌年から独立するという形にしてもらいました。

 

もうひと押し自分の中で自信がほしかった ので、厚生労働大臣認定外壁施工士の資格を取ることに決めました。

 

実技は自信があったのですが、学科は自信がなかったので毎日現場から帰ってきたら机に2時間は向かっていました。そして合格したのをきっかけに独立をしました。

 

雨漏りを知る

独立してからの5年間は、新築の屋根や外壁を工事する建設会社の下請け業者をしていました。ちょうどその頃は長男、次男が生まれたばかりで、とにかく毎日がむしゃらに働いていました。

 

独立する前に親方から言われた「大変だぞ」の意味が分かりました。これはきっと独立した直ぐの人にとっては【あるある話】だと思います。

 

とにかく人もお金も信用も本当に何もない0もしくはマイナスからのスタートだったので、この時期の記憶はありません。

 

そうした自分の状況とは別に、仕事としては有難いことに途切れる事は無かったです。新築だけでなく、リフォームの工事も発注頂く事があり、様々な経験をさせて頂きました。

 

今まではリフォームと聞けば古くなってきたから直すといったイメージがあったのですが、実際はそうでなく今よりもっと快適に生活するためにリフォームをされる方や、それこそ比較的年数が経っていない建物でも雨漏りがしてきたから直すという雨漏り修理といったリフォームがある事も知りました。

 

初めて雨漏り修理の現場に行った工事初日は緊張していた事を覚えています。

 

現場に着き現場監督の方とお客様にご挨拶した時に感じたのは、お客様の大きな不安でした。お客様からすれば当時の私は20代だったので「若いのに大丈夫かな?」といった不安も、もちろんあったと思うのですが、何より「本当に雨漏りが直るのか?」といったお客様の不安をひしひしと感じ取る事が出来ました。

 

しばらくお客様と監督の会話を聞いていると「今まで何度か業者に雨漏り工事の依頼をしてきたが一向に雨漏りは直らない」といった内容でした。何回も雨漏り修理しても止まらないという事に疑問を感じたと同時に、雨漏りの再発を何度も経験している方にとっては「工事が始まる日でも不安がある」という事も知り衝撃を受けました。

 

雨漏りを止める

私たち自身、雨漏り修理といった観点での工事は初めてでしたが、お客様の不安を感じる内に何としても雨漏りを絶対に止める。という気持ちになっていました。

 

当時の私は早く綺麗に仕事を仕上げる事が1番だと思っていました。

 

それは今の変わらない部分ではあるのですが、大切な事は作業の1つ1つに意味があるという事に雨漏り修理を行う中で、本当に気付くきっかけとなりました。

 

そうした視点で今まで常識と思っていた作業手順を見直すと、ひと手間加える事で、さらに長持ちする事に繋がり、雨漏りを起こすリスクを下げる事にも気づきました。

 

自分の中での考え方が拡張したと思います。

 

また各材料の特質も学び理解を深める事で職人にもきちんと丁寧に教える事もでき、自分自身の技術の向上に繋がると確信しました。

 

1杯のカレーライス

「それ終わったら、ちょっと食べてって。」

 

なんと工事最終日にお客様がカレーを作って、出してくれたのです。

 

感激しました。当時は新築工事がメインだった事もあり、お客様と触れ合う機会もなかったので、ふいにくれたお客様の優しさがすごく嬉しかったです。こんなにも喜んで頂けるんだ。とただただ感動していました。

 

頂いたカレーを食べているとお客様が私に言いました。

 

「おにいちゃん、あんな狭い所よう体入ったな~。今回本当にちゃんと雨漏り止まるか心配やったけど、これだけ丁寧にしっかりとやってくれたら心配はないかな。ありがとう。」

 

何より最初に不安いっぱいだったお客様が「3度目の正直でようやく雨漏りが止まった」と工事後に喜んで頂けた時に、今まで感じたことの無い達成感を得る事ができました。

 

決意

 

お客様が見ていて当然ですよね。新築とは違い住んでいます。そして自分の家です。仮に他人が気にしないような所だとしても気になるはずです。大切な我が家を想う気持ちがある以上は当然の事です。

 

困っている方の役に立てる事がこんなにも嬉しいものだと感じたと同時に、最初の1回で雨漏りが直っていたらどんなに良い事だろうかと思った事が雨漏りを専門に活動していくと決めたいきさつとなります。

 

雨漏りには屋根、外壁、防水、板金、サッシ等、様々な発生原因がございます。雨漏りを修理する事によって、私たちがお客様に提供しているものは【安心・安全】です。

 

目に見えるものではありませんが「本当に頼んで良かった」と喜んで頂ける気持ちの元は、雨漏りがきちんと止まる事や、屋根修理などきちんとした安心や安全が確保されたからだと私は思います。

 

お客様が分からない技術的な不安、仕上がりの不安、工事に関するすべての不安を徹底的に取り除く事、きちんとした本来の仕事を行う環境を作る事。そして雨漏り修理、屋根リフォーム工事後に安心して暮らして頂ける仕事を提供する事。

 

雨漏り修理専門店の名に恥じない様に精一杯これからも情熱をもって雨漏りとお客様に向き合っていきます。

 

会社としても個人商店から企業へと成長させていく事が今の目標です。未来永劫いつまでも人に必要とされ続ける会社。雨漏り修理専門店「情熱リノベーション」の目的です。まずは100年続く会社へと関わる全ての皆さまと共に創り続けていく事が、現時点の目標となります。

 

私は頑張っても100年後いないですが、会社は頑張れば100年後も存続し続けるので真面目にコツコツと取り組んでいきますので、「情熱に頼んで良かった!」とこれからもお客様に言ってもらえるように、働く仲間にとっても「情熱で良かった」と感じてもらえるように自分自身成長していきたいと思います。

 

雨漏りや屋根、外壁のことでお困りごとがございましたら、いつでもお気軽にご相談ください!

 

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